大判例

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神戸地方裁判所 平成2年(行ウ)7号 判決

原告

大池さつ子

右訴訟代理人弁護士

上原邦彦

渡部吉泰

松山秀樹

本上博丈

被告

尼崎労働基準監督署長

室田敏郎

右指定代理人

手﨑政人

外五名

主文

一  被告が昭和六〇年五月二一日付で原告に対してなした労働者災害補償保険法に基づく療養補償給付、休業補償給付、遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の申立

一原告

主文同旨

二被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二事案の概要

本件は、原告において、その夫で訴外交安タクシー株式会社(以下、「会社」という。)にタクシー乗務員として勤務していた訴外亡大池義則(以下「義則」という。)が脳出血(以下、「本件発症」という。)を発病して死亡するに至ったのは、義則が高血圧症であったにもかかわらず勤務体制の変更による過重な業務が継続して肉体的・精神的負担の蓄積があったうえに、タクシー走行中に何者かが飛び出してきたために驚愕してとっさに左にハンドルを切って事故を回避しようとした際の精神的緊張により血圧が上昇したことによって生じたものであり、過重な業務及び業務中の緊急事態による精神的緊張と高血圧症が共働原因となって本件発症が生じたものであるから、本件発症は業務に起因して生じた疾病に該当すると主張して、労働者災害補償保険法(以下、「労災保険法」という。)に基づく保険給付の支給を認めない本件処分の取消しを求めた事案である。

一争いのない事実

1  義則は、昭和五四年三月一〇日、会社にタクシー乗務員として雇用され、本件発症時までタクシー流し業務に従事していた。

2  会社のタクシー乗務員の勤務体制には日勤と隔日勤務があり、日勤の所定労働時間は、始業午前八時、終業午後七時、休憩三時間の拘束一一時間、実働八時間であり、所定休日は毎週一回又は四週を通じて四日の割合とされていた。これに対し、隔日勤務の所定労働時間は、始業午前八時、終業翌日午前二時、休憩二時間の拘束一八時間、実働一六時間で、終業後翌日の午前八時までは非番となっており、所定休日は六当務(一当務は始業日と就業日を合わせた二日間を意味する。)又は七当務に二日とされていた。

また、休日労働は、労働協約により月一日認められているが、本人が希望する場合に限られており、あらかじめ公休出勤許可願の提出を要するものとされていた。

会社における義則の勤務体制は、当初は日勤であったが、昭和五九年一一月二一日から隔日勤務となった。

3  義則は、本件発症日の前日の昭和六〇年一月二一日には、午前〇時三五分に業務を終えて帰庫し、午前四時ころ帰宅した。その後就寝し、午前八時ころ目を覚まして朝食をとったうえで再度就寝し、午後二時ころ目を覚まして昼食をとり、その後はテレビを見る等して過ごし、午後六時ころ三度目の就寝をし、午後八時ころ目を覚まして夕食をとったのち、テレビを見て過ごし、午後九時三〇分ころ就寝した。

翌二二日(以下「本件発症日」という。)は非番明けの公休出勤であったため、義則は、午前六時ころ起床し、午前七時五〇分ころ出社して、午前八時三〇分ころ出庫し、以後主として尼崎市内で業務に従事していたが、午後五時ころ、兵庫県尼崎市富松町二丁目の道路で、電柱に車体を当てた状態で意識を失っているところを発見され、直ちに救急車で病院に収容され、「脳出血」と診断されて治療を受けたが、意識不明のまま同年二月三日午前七時四〇分死亡した。死因は脳出血による心衰弱であった。

なお、義則の本件発症は、乗車車両のタコメーターにより、本件発症日の午後三時三〇分ころに生じたものと推認される。

4  義則は、かねてより高血圧症に罹患しており、義則の会社における一般健康診断の結果は別表一のとおりである。

また、義則は、昭和五九年六月二三日に樋口眼科を受診しているが、同診療所の樋口医師は、右診療結果に基づいて要旨「傷病名・アレルギー性結膜炎兼網膜動脉硬化症(両)、症状・中心動脉は軽度の交叉現象あり(走行変化先細り)、患者の年齢になれば軽度の中心動脉に硬化をみとめます。」との意見を述べている。

さらに、義則は昭和五九年一〇月三一日から同年一一月七日までの間、池尻医院を受診しているが、同医院の池尻医師は、右診療結果に基づいて要旨「五九年一〇月三一日感冒様症状を訴えて来院、咽頭発赤(卅)等にて急性上気導炎と診断加療、血圧一六〇―九六、五九年一一月二日感冒状況経過良好、血圧一五六―九五血圧測定よりみて高血圧症である。血圧については、生活(食事等も含む)指導、再診療等を勧めた。」との意見を述べている。

5  原告は、義則の配偶者であって、その死亡により遺族となり、同人の葬祭を行った。

6  原告は、義則の死亡は業務上の事由によるものであるとして、被告に対し、労災保険法に基づく、療養補償、休業補償、遺族補償及び葬祭料の給付請求をしたところ、被告は昭和六〇年五月二一日付で義則の死亡は業務上の事由によるものとは認められないとして、これを支給しない旨の処分(以下「本件処分」と言う。)をした。

そこで、原告は、右処分を不服として、兵庫労働者災害補償保険審査官に対し、審査請求をしたが、同審査官は、昭和六一年八月三〇日付で右請求を棄却した。原告は、さらに右決定を不服として、労働保険審査会へ再審査請求をしたが、同審査会は、平成元年一一月二九日付で右再審査請求を棄却する旨の裁決をし、右裁決書の謄本は、同年一二月一三日、原告に送達された。

二争点

本件発症の業務起因性

三争点に対する当事者の主張

1  原告の主張

(一) 業務上外の認定の在り方について

労災保険法は、憲法二五条及び二七条を具体化するために設けられた法であり、国民の生存権の保障を旨として解釈運用されなければならない。従って、右権利を制限するような「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準」(昭和六二年一〇月二六日付基発第六二〇号。以下「基準」という。)及び基準別添「脳血管疾患及び虚血性心疾患の認定マニュアル」(以下マニュアルと言う。)による形式的な認定は、労災保険法の趣旨に適合しない。

個別の問題点を挙げれば以下のとおりである。

(1) 日常業務に比較して、特に過重な業務に就労したことを業務上外の認定の基準とすることは、当該被災者の就労している日常の業務自体が過重な場合には、業務外ということになり、不当である。

業務上外の認定は、当該被災者が通常の所定業務に従事していた場合であっても、その業務が、当該被災者にとって、過重な精神的、肉体的負担を生じさせる量的、もしくは質的に過重な業務に当たるか否かで判断されるべきである。

(2) 業務上外の認定に当たって、発症に因果関係を有すると認めうる過重な業務を発症前一週間以内のものに限定すべき医学上の根拠は何もなく、その不合理性は明らかというべきである。

(3) 業務上外の認定は、疾病発生の機序を医学的に解明することを目的にするものではなく、労災保障制度の趣旨を実現するために、当該疾病を保障対象として選別することを目的とするものであるから、業務と疾病との間の因果関係の判断は、医学的な判断ではなく、あくまでも法的な判断であり、医学的証明の必要性に固執する基準は不合理であり、労災保障制度の趣旨に反する。

(4) 多くの判例の積み重ねの中で形成されてきた共働原因主義の法理を全く無視している。

(二) 本件発症と業務との因果関係について

(1) 義則は、本件発症の直前に急病人を病院に運んでおり、これによって精神的緊張を強いられていたところ、タクシー運転中に何者かの飛び出し行為があり、驚愕してとっさに左にハンドルを切って事故を回避しようとした際に、血圧が上昇して本件発症を生じたものであるから、本件発症は業務上の事由に基づく災害である。

(2) 義則は、繁忙期のため昭和六〇年一月六日から本件発症日までの一七日間、九当務連続して勤務し(一月一一日は公休であった、前日の公休日である一〇日には八時から二〇時一五分まで一二時間一五分乗務しているのだから、一〇、一一日は一当務勤務したものと評価できる。)、その間、所定の三日間の休日(一月一〇日、同月一一日、同月二二日)のうち、実際に取得したのはわずか一日に過ぎず、本件発症前の業務過重性は明らかである。

(3) 義則は、昭和五九年一一月二一日にそれまでの日勤から隔日勤務に変わったが、それ以前でも、通常六時三一分出庫、一七時一九分入庫で、乗務時間一〇時間四八分、走行距離149.4キロメートルであって、すでに長時間労働ではあったものの、まだ朝起きて日中仕事をし、夜眠るという基本的な生活パターンは維持されていた。しかし、隔日勤務に変わってからは、一当務は一一月二一日から一二月二〇日までの平均で、五時四六分出庫、二四時一七分入庫で、乗務時間は一八時間二六分、走行距離は259.9キロメートルに、一二月二一日から同六〇年一月九日までの平均では、六時一九分出庫、二三時四〇分入庫で、乗務時間は一七時間二〇分、走行距離は265.4キロメートルになり、一乗務当たりの乗務時間は約1.7倍、走行距離は約1.8倍と、いずれも急激かつ極端に増加し、出庫時間も約三〇分早まっているうえ、早朝出勤して深夜まで一八時間前後の連続勤務を余儀なくされ、義則の基本的な生活パターンは破壊されてしまった。

しかも、この日勤から隔日勤務への変更は、繁忙かつ寒冷な時期になされており、右勤務体制の変更により、義則が著しく過重業務に従事することを余儀なくされたことは明らかである。

(4) そもそも、タクシー労働は、それ自体反生理的なものである。即ち、第一に、勤務が不規則・長時間であって、夜間、特に深夜勤務が多く、昼働き夜休息するという人間本来のリズムを崩すことになり、第二に、長時間狭い空間に椅座位を余儀なくされて、肩凝り、腰痛等の原因となり、第三に、事故防止のために常に道路状況等に注意を払わねばならないうえに、客探し、客に対する配慮等で、神経の休まる間がなく精神的にも肉体的にも疲労が蓄積されてゆく。

さらに、乗務員に基礎疾病としての高血圧症が存在する場合には、タクシー労働はより反生理的である。即ち、疫学的には、タクシー乗務員の血圧は、乗客がいる時や事故を起こしそうになった時には、有意に上昇するのが認められ、また、血圧は、午前に比べ、夕方、特に深夜には有意に高くなる傾向が認められるところ、高血圧者の場合は、血圧の上昇幅が正常者と比較して大きく、かつ、一旦上昇した血圧が正常者と比較すると下がりにくいことが指摘されている。

従って、高血圧症の基礎疾病を持つ者がこのような反生理的な業務を係属することは、高血圧症の増悪を招くばかりでなく、頻繁かつ大幅な血圧の上昇により、脳小動脈の壊死及び脳小動脈瘤の形成とその破綻を促進することになる。

(5) 義則は、本件発症日の約二ケ月前に日勤から隔日勤務に変わったが、それ以前は、高血圧症の傾向を示してはいたものの、池尻医師が降圧剤の投与はせず、食事等を含む生活指導に止めたことでも明らかなように、さほど重篤ではなかった。そして、喫煙も飲酒もしない義則にとって、業務以外には、これといった高血圧症の増悪因子は存在しないから、右のように比較的軽い高血圧症の状態からわずか二ケ月半程度で本件発症に至る原因としては、過重な業務しか考えられず、本件発症は、基礎疾病である高血圧症の自然的経過によるものであるとは到底考えられない。

2  被告の主張

(一) 業務上外の認定基準について

(1) 労災保険法は、直接的には、労働災害につき、使用者が労働基準法上負担すべき災害補償責任を担保するための保険給付制度を定めたものであり、その目的は労働者の福祉の増進にあるが、労災保険法の解釈運用に当たっては、生存権の保障というような一般的な概念を拠り所とするのは妥当ではなく、保険給付をするか否かの判断は、当該事案が労働基準法の各条文に照らし、使用者が補償責任を負担するのが相当な場合であるか否かという判断の延長線上においてなされるべきである。

使用者が業務上の災害について無過失責任である労働基準法上の災害補償責任を課せられる根拠は、使用者が労働者を自己の支配下に置いて労務の提供をさせることから、その労働の過程で、企業に内在若しくは通常随伴する各種危険が現実化した場合には、使用者に何らの過失がなくても、その危険の責任を負担させ、労働者の損失を填補させることが合理的であるからである。このことからすれば、使用者に災害補償責任を認める前提としての業務起因性が認められるためには、当該疾病が当該事業に内在もしくは通常随伴する危険の現実化とみとめられる関係(相当因果関係)が存在することが必要である。

(2) ところで、当該労働者が基礎疾病を有する場合には、いずれそれは自然的経過ないし加齢によって発症するものであるから、当該疾病の発症が直ちに当該業務に内在もしくは通常随伴する危険の現実化とは認められないことは当然である。

従って、発症と業務との間の相当因果関係の有無を判断するに当たっては、そのような自然的経過等による発症と区別するためにも、発症に至るまでの経過や発症直前の業務の内容等を具体的に検討して、発症の直接的原因を究明すべきであり、そのうえで当該業務が、他原因に比し、相対的に有力な原因であると認められるときに限り、右発症は当該業務に内在もしくは通常随伴する危険が現実化したものと認められ、業務起因性が肯定されるのである。

(3) 基準は、業務起因性を認める要件の一つとして、「日常業務に比較して、特に過重な業務に就労したこと。」を挙げているが、負傷によらない脳血管疾患の発症は、業務自体が有害物質を扱い、当該有害物質が発症の原因となる場合や、特定の業務において疫学上有意の発症傾向が認められる疾病と異なり、基礎疾患の自然的経過や加齢によって発症するのがほとんどであり、その発症には、著しい個人差が存在する。また、業務自体が発症に直接関与するとの一般的知見は存在しない。

従って、基準及びマニュアルが、業務起因性を判断する基準として「日常業務に比較して、特に過重な業務に就労したこと。」を認定基準に挙げているのは合理的かつ相当である。

また、マニュアルには「当該労働者のみならず、同僚労働者又は同種労働者にとっても、特に過重な精神的、身体的負荷と判断されるものであることはいうまでもない。」と記載されているが、脳血管疾患のように、業務に内在する危険の現実化と直ちに判断できない疾患の場合には、客観的に業務起因性を判断する基準として、当該労働者のみならず、同僚又は同種労働者にとっても、特に過重な業務に従事したことを要求することは、合理的かつ相当であるというべきである。

次に、基準が発症前一週間以内に過重な業務が継続した場合に限定したことについては、現在の医学的知見によれば、脳血管疾患は、一般的には、過重負荷を受けてから、二四時間以内に症状が出現するものであり、まれに症状の出現までに、数日を要するものがあるとされているに過ぎないので、発症前一週間を一つの区切りとした基準は合理的である。

さらに、基準が業務と疾病との医学的証明を要求していることについても、そもそも業務上の判断の対象である「疾病」が医学上の概念である以上、当該業務と疾病との関係は、まずもって医学的に説明されることが必要であるうえ、特に脳血管疾患の場合は、特定の業務との因果関係の存在が経験的に承認されているものではないのであるから、より一層明確な医学的関連性を要求するのは合理的というべきである。

(二) 本件発症と業務との因果関係について

(1) 本件発症日に義則が発見された付近の道路において、義則が何者かの飛び出し行為に遭遇したことを認めるに足りる証拠はないうえ、現場の道路は幅員約六メートル、直線で見通しが良かったことを勘案すると、義則が運転中何者かの飛び出しという「異常な出来事」に遭遇したと認めることはできない。

(2) 隔日勤務になってからの義則の業務量と会社の同種労働者の業務量とを比較すると、義則については、乗車回数は特に多いとはいえず、一日当たりの運行距離数及び運行時間数はむしろ少ない方であって、義則の業務量は、全体的にみて平均値ないしそれ以下である。

(3) タクシー業務が交代制で、夜勤を伴うものであるとしても、同業務従事者の脳心疾患の発生率が、他の職種の従事者と比較して顕著に高いとも、また、同業務に同疾患を発症させる有害因子を含んでいるとは一般に認められていない。即ち、各種公的機関のデータによれば、脳心疾患保有者の割合は他の職種と比較しても、平均値に止まっており、また、六年間隔で実施された交代制勤務従事者群と常日勤従事者群との健康診断の結果を対比してみても、体調の不調を訴える者の比率が交代制勤務者群に有意に高い割合の異常者がいるとは認められなかったことが公表されている。

さらに、深夜交代制労働専門家会議の報告では、深夜労働と健康障害については、因果関係が有るとするものと、無いとするもの両方のデータがあって、明確な結論が得られないとの報告がなされている。

従って、現時点における医学的、疫学的知見によっては、タクシー業務従事者の脳心疾患の発病率が、他の職種の従事者に比し、顕著に高いとも、また、同業務に同疾患を発生させる有害因子が一般に含まれているともいえない。

(4) 義則の本件発症前日から直前までの業務量をみてみると、前の乗務から当日の乗務までには約三二時間の間隔があり、この間に少なくとも一九時間程度の睡眠を取っており、本件発症日の乗務の直前においても、連続して八時間三〇分程度の睡眠を取っているのであるから、義則は本件発症前に十分な休養を取っていたものというべきである。

また、義則が本件発症日に出庫したのは午前八時三〇分ころであって、本件発症推定時刻である午後三時三〇分頃までには、七時間程度しか経過しておらず、走行距離も約九八キロメートルに過ぎないうえ、本件発症日の業務内容は、義則がそれまで行っていた業務と特に変わったものではないのであるから、特に過重な業務に従事していたとはいえない。さらに、発症前一週間の業務量についてみてみても、一七ないし一九時間の乗務を三回行っているが、昭和六〇年一月一七日の入庫から同月二〇日の出庫までは約二九時間、同月一八日の入庫から同月二〇日の出庫までは約三一時間、同月二一日の入庫から同月二二日の出庫までは約三二時間の間隔があり、このような乗務形態は、同人が以前から行っていた乗務の形態と何ら変わるところはないのであるから、発症前一週間の業務も特に過重な業務であったとはいえない。

結局、本件発症は、業務によって増悪したものでは無く、基礎疾病である高血圧症が自然的経過によって発症したものであって、その機会がたまたま就業時であったのに過ぎないというべきである。

四争点に対する判断

1  業務起因性の判断の基礎となる事実

(一) 義則の勤務状況

(1) 義則は、昭和五四年三月一〇日に会社に日雇いで雇用され、その後嘱託になって、夜間勤務のない日勤の勤務体制による勤務を続けていたが、車のフル稼働を進めようとする会社の要求もあって、昭和五九年一一月二一日から、車一台を二人で担当し、勤務日の翌日は非番となり、その日は別の者が勤務につくという勤務体制である隔日勤務に変わった。

なお、日勤及び隔日勤務の所定労働時間及び公休は前記「争いのない事実2」記載のとおりであるが、隔日勤務の場合の公休は、正確には、二日間を一当務とし、六当務した後に二日、その後七当務した後に二日の繰り返しで与えられることになっており、希望により休日出勤も認められていた。

(2) 義則は、日勤の当時は、午前五時半ころに家を出て、会社で車の準備をして午前六時半ころ出庫し、三時間の休憩を挟んで、午後五時ないし六時ころ入庫し、七時前後に帰宅するのを常とし、平均して、一日の乗車時間は一〇時間前後、走行距離は一五〇キロメートル前後であった。

しかし、隔日勤務に変わった後は、一当務に一日の非番日はあるものの、出勤日には午前五時過ぎころに家を出て、午前六時前後に出庫し、二時間の休憩を挟んで、翌日午前二時ころに入庫し、入金・洗車をして、午前三時ないし四時ころ帰宅する生活となり、乗車時間は一八時間前後、走行距離は一日二六〇キロメートル前後に達するようになった。

また、公休の取り方についても、隔日勤務に変わった後は、昭和五九年一二月始めに年休二日、同月末に公休出勤の代休を二日、昭和六〇年の年始に公休と年休を合わせて連続四日間の休みをそれぞれ取っているほかは、公休出勤も含めて(公休振替出勤の場合は、帰庫時間は早く、遅くとも午後九時過ぎには帰庫している。)ほぼ連続して勤務し、特に年始休みの後は、公休振替出勤を含めると、本件発症日まで九当務連続して勤務したことになる。

もっとも、会社の他の運転手もほとんどが隔日勤務を行っており、隔日勤務に移行した後の義則の業務量は、他の運転手と比較して、乗車回数、走行距離、乗車時間のいずれの点でも多いほうではなかった。

なお、義則の昭和五九年一〇月二二日から本件発症日までの勤務状況は別表二のとおりであり、隔日勤務に変わってから発症日まで間の義則の業務量及び同期間中の会社の他の同種労働者の業務量は別表三のとおりである。

(以上(一)につき、〈書証番号略〉、証人小松運、同中井勝美、原告本人、前記争いのない事実1、2)

(二) 義則の健康状況一般

(1) 義則の会社における一般健康診断の結果は前記「争いのない事実4」記載のとおりであり、昭和五九年六月二九日に樋口眼科で受診した際には、両眼の網膜動脈硬化症と軽度の加齢による中心動脈の硬化が認められており、また、義則は、昭和五九年五月一六日から同年一二月一九日まで腰痛症で、同年六月二七日から同年七月二一日まで白癬症で、浜名外科医院に通院しているが、右通院期間中の同年六月八日に受けた検査結果では、胸部エックス線検査上心肥大が認められ、肥満の傾向が認められたものの、心電図には著変なく、血圧は一四四〜八二であったため、高血圧症に対する投薬治療は行われておらず、塩分とカロリーを減らすようにとの生活指導がなされただけであった。

さらに、義則は、昭和五九年一〇月三一日から同年一一月七日まで、感冒でかかりつけの池尻医院に通院しているが、その間の血圧測定の結果は、同年一〇月三一日が一六〇〜九六、同年一一月二日が一五六〜九五であり、右血圧測定の結果からみて高血圧症であると診断されているものの、高血圧症の治療のための投薬は行われておらず、生活(食事等も含む)指導及び経過観察のための再診の指示がなされただけであった。

(2) 義則は、日勤の当時には、公休の日に散歩をしたり、少年野球のコーチをしたりしていたが、隔日勤務に変わった後は、帰宅時間や夕食の時間はまちまちになり、散歩も止めて、非番の日には、家でごろごろしていることが多くなった。また、義則は、本件発症日近くの非番の日には一日中寝て過ごしたり、それまでは酒、煙草を一切嗜まなかったのに、飲み慣れないビールを飲んだりするようにもなっていた。

なお、義則は妻に対しては、特に体の不調を訴えることはなかったが、同僚に対しては、「日勤をしたい、隔日勤務は困る、夜走ると疲れが倍違う。」などと話していた。

(三) 義則の基礎疾病の状況

(1) 前記義則の会社における健康診断の結果によると、血圧の測定値がWHOの高血圧症判定基準(一九七八年)上の高血圧領域を示した場合が昭和五四年四月一二日、同五七年四月一七日、同年一〇月一六日、同五八年一〇月二九日、同五九年一〇月二九日の五回、境界域を示した場合が昭和五五年四月五日、同五六年四月四日、同年一〇月三一日、同五九年五月一二日の四回、正常域を示した場合が昭和五五年四月五日、同五八年五月七日の二回あり、これらの血圧測定値からすれば、義則は、本件発症前に、少なくとも境界域高血圧症の基礎疾患を有していたことになる。

また、義則は、右健康診断において、昭和五六年四月四日、同五九年五月一二日、同年一〇月二九日の三回心肥大の傾向があるので心電図の検査が必要である旨が指摘されている。

(2) しかし、昭和五九年六月八日に浜名医院で受けた心電図検査の結果には著変なく、同医院及び昭和五九年一〇月から一一月にかけて受診した池尻医院においては、高血圧症に対する投薬治療を行わず、食事等を含む生活指導を行うのに止めていたことは前記のとおりであり、また、エックス線検査上心肥大の傾向が認められても、体格に基づく場合もあり、心電図に異常がない場合は、高血圧が原因となった心肥大ではなく特に問題にする必要はない場合が多く、これらの点からすると、隔日勤務に変わる前の義則の基礎疾患の状況は、重篤なものではなく、むしろ当面は治療の必要のない、症状の急変等も予想されない軽度のものであったと考えられる。

(以上(二)、(三)につき、〈書証番号略〉、証人池尻重義、証人服部真、原告本人、前記争いのない事実4)

(四) 高血圧性脳出血の発生機序

高血圧性脳出血は、まず脳実質内の微小な血管の血管壁が細胞壊死を起こして薄くなり、それにより弱くなった血管壁の部分が嚢状に突出して小動脈瘤を形成し、その後、血圧の上昇や血液の乱流により小動脈瘤が拡大し、血圧に耐えられなくなった時点で、この小動脈瘤が破裂して出血することによって発症するものであるとされており、このように、高血圧性脳出血が血管壁細胞の壊死と小動脈瘤の形成、その後の血圧の上昇を原因とする小動脈瘤の破裂と言う経過をたどるということは医学的定説となっている。

また、こうした脳内小動脈の高血圧性病変のうち、血管壁細胞の壊死については、高血圧による血管内圧の上昇が唯一の原因ではなく、その他の因子も関係しているものと考えられているが、細胞壊死により脆弱になった血管壁が拡張して小動脈瘤を形成する過程、さらにその小動脈瘤が血圧の上昇に耐えられなくなって破裂するに至る過程では、高血圧が重大な役割を演じており、その意味では、脳出血発症の最大の危険因子であって、脳出血の発症率は高血圧症が重篤になるのに連れて急激に増加する。

そして、高血圧症発症及びその重篤化には、さまざまな因子が関係しているが、肉体的、精神的に過重な労働による疲労及びストレスの持続もこれに影響を及ぼすものとされている。

なお、肥満、高コレステロール血症、糖尿病等は、アテローム性動脈硬化(コレステロールの沈着等による血管内腔の狭窄)を来たし、脳梗塞を発生する危険因子となるが、脳出血の危険因子ではなく、これらを有するものにはむしろ脳出血が少ないという疫学的な調査結果の報告もある。

(以上につき、〈書証番号略〉、証人服部真)。

2  業務起因性の有無について

(一) 異常な出来事の有無

義則が何者かの飛び出し行為に遭遇したことを直接証明するような証拠は何もなく、また、義則は、本件発症のために意識を失い、乗車車両を道路左端に設置されている電柱に当てた状態で発見されたものであるところ、義則には外傷はなく、また、現場付近の道路は幅員約六メートルの直線道路で見通しはよく、乗車車両のバンパーの凹損も軽微であり(〈書証番号略〉)、これによれば、義則はさほど高速度で走行してはいなかったものと推認されるから、右側からの飛び出しについては、路外の電柱に衝突するまでに至らずに回避が可能であったと考えられ、他方、左側からの飛び出しに対しては、右にハンドルを切るのが自然であるから、義則が本件発症時に事故回避のための運転行為をしたものとは認め難い。

従って、本件発症が業務中の異常な出来事に遭遇したために生じたものと認めることはできず、これを理由として業務起因性を肯定することはできない。

(二) 基礎疾病と業務起因性

被災労働者の遺族に対して労災保険法上の保険給付が行われるのは、「労働者が業務上死亡した場合」であり(労災保険法一二条の八第二項、労働基準法七九条、八〇条)、「労働者が業務上死亡した場合」とは、労働者が業務により負傷し、又は疾病にかかり、右負傷又は疾病により死亡した場合をいい、業務により疾病にかかったというためには、疾病と業務との間に相当因果関係がある場合でなければならない。

そして、右の相当因果関係があるというためには、必ずしも業務の遂行が疾病発症の唯一の原因であることを要するものではなく、当該被災労働者が有していた既存の疾病(基礎疾病)が条件または原因となっている場合でも、業務の遂行が右基礎疾病を自然的経過を超えて増悪させた結果、より重篤な疾病を発症させて死亡の時期を早める等、業務の遂行がその基礎疾病と共働原因となって死の結果を招いたものと認められる場合には、相当因果関係が肯定されると解するのが相当である。

なお、被告は、本件のような脳血管疾患の場合の業務起因性の認定は、基準によるべきであると主張するが、基準は、業務上外認定処分を所管する行政庁が処分を行う下級行政機関に対して運用の基準を示した通達であって、業務外認定処分取消訴訟における業務起因性の判断について、裁判所を拘束するものではないから、被告の主張を採用することはできない。

(三) 義則の業務の過重性

前記の争いのない事実及び認定事実によれば、隔日勤務の場合は、一日の乗車時間及び走行距離が長くなり、深夜まで勤務が続く反面、翌日が非番になり、休息を取りうる時間も長くなることが認められる。しかし、深夜労働を伴う長時間の勤務は、昼働き、夜休息するという人間の自然な生活リズムに反するものであり、さらに、同業の訴外阪神タクシー株式会社においては、六当務に一公休から四当務に一公休へ、次いで昭和五三年一月一六日からは三当務に一公休へと、公休を増加させている(証人小松運、〈書証番号略〉)ことに徴しても、六ないし七当務連続という会社における隔日勤務は、健康な乗務員にとっても厳しい勤務であり、非番の日では疲労回復が十分でなく、疲労が蓄積する傾向があるため、より短い間隔による休日の付与が求められていることが窺われ、このことからも、義則のように年齢も高く、高血圧症の基礎疾病を有する者にとっては、会社における隔日勤務は厳しい勤務であったと考えられる。

特に、前認定の昭和六〇年初めの義則の勤務のような実質九当務連続の勤務は、きわめて厳しい勤務であったというべきであり、勤務の翌日が非番になっても、それだけでは疲労を回復するに足りず、このような隔日勤務を連続することは、義則のような基礎疾病を有する者にとっては、過重な負担であったと認めるのが相当である。

もっとも、前記認定事実によれば、義則の業務量は、会社の他の従業員に比べて決して多いほうではなかったといえるが、同じ業務量であっても、健康な者と基礎疾病を有する者とでは、業務によって受ける影響は異なり、また、タクシー運転業務、特に夜間のそれは身体的、心理的緊張による血圧上昇を伴うものであるうえ、高血圧症の者は、健康な者よりも血圧の変動が大きく、上昇した血圧が下がりにくいこと(〈書証番号略〉、証人服部真)を考慮すれば、本件発症前の義則の業務は、義則のように高血圧の基礎疾病を有する者にとっては、やはり過重なものであったというべきである。

なお、被告は、非番日が休息に当てられているほか、昭和六〇年の年始にはまとまった休日を取っているので、義則が疲労を回復することは可能であったと主張するが、義則のように年齢が高く、基礎疾病を有する者は、若くて健康な者に比べると疲労回復が遅いことに加えて、連続休暇の後年始の繁忙期に九当務連続して勤務していることを考慮すると、義則のような基礎疾病を有する者にとっては、右休日及び非番日の存在は、過重な業務による影響を遮断するに足りるほど十分なものであったということはできない。

(四) 本件発症の業務起因性

前記認定事実によれば、本件は、高血圧症の基礎疾病を有していたものの、さほど重篤なものとはいえず、しかも昭和五九年一一月始めころには、投薬治療の必要はないとして、生活指導を受けたのに止まる義則が、酒、煙草等も嗜まないのに、その後四か月も経ない間に脳出血を発症したものであるところ、前記のとおり右発症前の業務が義則にとって過重であったことを考慮すると、義則がその基礎疾病の自然的経過によって脳出血を発症したものとは考え難い。むしろ隔日勤務に変わってから本件発症日までの義則にとって過重な業務が、義則の基礎疾病を自然的経過を超えて増悪させ、そのために、脳内小動脈瘤が血圧に耐えられなくなって脳出血が発症し、義則を死亡させるに至ったものと認めるのが相当である。

なお、被告は、義則は肥満及び糖尿病(疑い)等の危険因子をも有しており、これらの事情を勘案すれば、義則の高血圧症は、自然的経過を超えて増悪したとはいえないと主張するが、義則の肥満及び糖尿病(疑い)は重篤なものではないうえ(〈書証番号略〉)、肥満や糖尿病は脳梗塞の危険因子ではあるが、高血圧性脳出血の危険因子にはならないという疫学的な調査結果の報告もあることは前記認定のとおりであるから、右の肥満や糖尿病(疑い)があるからといって、直ちに義則の本件発症が、その基礎疾患の自然的経過によって生じたものということはできず、右主張は採用し得ない。

以上によれば、本件発症は義則の基礎疾患と業務が共働原因となって生じたものということができるから、本件発症には業務起因性があり、義則の死亡は、業務と相当因果関係があるものと認めるのが相当である。

第四結論

そうすると、義則の本件発症及びこれによる義則の死亡を業務外のものであるとしてした本件処分は、違法であり、取り消されるべきである。

(裁判長裁判官笠井昇 裁判官菅野雅之 裁判官渡邊正則)

別表一〜三〈省略〉

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